千姫(せんひめ)「戦国武将・戦国大名」

千姫せんひめ

千姫
生没年
慶長2年~寛文6年
1597年~1666年
家譜
父・徳川秀忠
母・お江
夫・豊臣秀頼、本多忠刻(ただとき)
子:勝姫、幸千代
生涯
千姫は徳川幕府2代将軍・徳川秀忠(とくがわひでただ)の長女としてこの世に生を受け、その当時の天下の情勢にしたがって、豊臣秀吉の嫡子であった豊臣秀頼と7歳で結婚する事となった姫です。
父母の元を離れ、乳母と共に秀頼の居城である大阪城に入った千姫でしたが、秀頼は千姫の不安な心情を思いやり、千姫も心配りのできる秀頼を信頼し、二人は仲むつまじく暮らしていたそうです。

しかし、秀吉の没後、関が原の戦いにて徳川家康率いる西軍が勝利すると家康は自分が天下を治める上で障害となる、豊臣家は排除しなければならないと考え「大阪夏の陣」が勃発します。
自分の祖父にあたる家康が大阪城に攻めてきた事で、千姫は窮地に立たされますが、家康は千姫を救い出すことに全力を尽くし、無事に救出する事に成功します。
この千姫の救出劇については、ひとつの逸話があり、その内容は家康が千姫を助けた者は千姫と結婚できるという事を約束したものだったそうです。
そして千姫を救出した者は坂崎直盛(さかざきなおもり)と言う人物でしたが、直盛が容姿が悪かった為に千姫がこれを嫌がり、千姫と直盛の結婚は成立しませんでした。
その後、千姫は徳川四天王の一人、本多忠勝を祖父に持つ、本多忠刻(ほんだただとき)と結婚する事となりましたが、これを知った直盛が怒りを覚えて千姫の襲撃を計画し、強引に結婚しようと考えます。
しかし、この計画は実行前に露呈し、直盛は自害。また、坂崎家自体も罪を咎められ、改易となります。

こうして、無事に二人目の夫と結婚した千姫は夫の居城である姫路城にて一男一女に恵まれ、夫婦仲も良好でしたが、長男の幸千代が4歳で早世すると夫の忠刻も31歳で病で没します。
再び、未亡人となった千姫は実家のある江戸に戻り、出家。以降、天樹院と号します。
出家をきっかけに質素な生活を送ると思われた千姫ですが、弟が三代将軍徳川家光であった事もあり、その後も特に不自由なく暮らし、70歳まで生きてこの世を去ります。
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