濃姫(淀殿)「戦国武将・戦国大名」

濃姫のうひめ 帰蝶きちょう

濃姫
生没年
1535年~1612年?
家譜
父・斉藤道三、母・小見の方
生涯
濃姫は斉藤道三の娘で、一般的に呼ばれている「濃姫」という名前は「美濃から嫁いできた姫」という意味だとされており、本当の名は帰蝶(きちょう)と言います。
父である斉藤道三は尾張に勢力を誇っていた織田信長の父・信秀が争いましたが、決着がつかず、講和を結んだ際に、その証として濃姫は織田信長と婚約する事となります。この時、濃姫は15歳だったとされ、織田家において仲介役を果たしたのは信長の傅役、平手政秀(ひらてまさひで)であったと伝わっています。

結婚し、織田信長の正室として織田家に迎え入れられた後も、濃姫は斉藤道三と固い絆で結ばれていたとされ、結婚当初は斉藤家のスパイ的な役割を果たしていたとも言われていますが、輿入れの前に道三から「婿殿が噂どおりのうつけならば刺し殺せ」と命じられ、短刀を渡された際には「この刀、いつか父に向けられるやもしれませぬ」と返したという逸話があります。

やがて、夫である織田信長と父である斉藤道三は互いを認め合う仲になったとされていますが、この関係に至るまでには、この濃姫が重要な役割を果たしたという事は言うまでもありません。

尚、信長の正室であった事から戦国時代の姫の中でも、かなり知名度の高い濃姫ですが、歴史的に信頼性の高い資料にはほとんどその名が記されておらず、まだまだ濃姫には謎の部分が多いと言われています。
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